エジプト ナイル川紀行【後編】
カイロから空路アスワンを経由してエジプト南部の都市、アブ・シンベルへと向かった。5月中旬にも関わらず、日中の気温は40度近くまで上がり、乾いた空気と灼熱の日差しに迎えられた。わずか半日の滞在でアブ・シンベルを訪れた目的は一つ、岩肌に掘られた巨大な石像建築アブ・シンベル神殿を訪問することだった。岩窟神殿のエントランスに鎮座する高さ20メートルのラムセス2世の4体の石像の迫力に圧倒されたものの、この巨大神殿そのものがアスワンハイダムの建設による水位の上昇によって水没する危機から逃れるために移設されたものだと知ってさらに驚愕したのだった。
今から3,300年前の古代エジプト新王国時代に造られ、発見されたのは19世紀に入ってから。そして1964年に始まったユネスコの壮大なプロジェクトによって西に120メートル、上部に63メートル移設することに成功し、後に採択された世界遺産条約の契機になったとのことで、想像を越えた歴史観とスケールの大きさに驚かされるばかりのアブ・シンベルでの滞在となった。
アブ・シンベルからアスワンに戻って宿泊したのは、ナイル川の畔に建つソフィテル レジェンド オールド カタラクト アスワン。ここもまたナイル川の畔に建つエジプトを代表するヒストリカルなホテルで、周辺一帯褐色の砂漠が広がる中、オアシスの如く緑溢れるガーデンとたおやかに流れる漆黒のナイルのコントラストは一枚の絵画のように美しく、あまりにも有名な風景。
アガサ・クリスティが長らく定宿とし、”ナイルに死す”を書き上げたホテルとして名を馳せ、実際に滞在した部屋は幾度もの改装を経てアガサクリスティスィートとして今尚愛され続けている。テラスからの眺めは格別で、映画のシーンを回想しつつナイル川の魅力と不思議に没入したひとときだった。
そして、アスワンからカルナック号ならぬサンクチュアリ―サンボートⅣでこの旅のハイライト、ナイル川クルーズが始まった。サンクチュアリ―サンボートⅣは、スィート4室を含む全38キャビンの船で、ナイル川に数多あるクルーズ船の中でも小型かつ上質なサービスが自慢の船。
朝食とランチはビュッフェ、ディナーは3コースメニューで提供され、お国柄アルコール飲料のラインナップには限りはあったものの、本場エジプト料理のみならず、サービス精神旺盛なシェフ達によって繰り出されたバラエティに富んだ料理で楽しませてくれた。とりわけ印象的だったのが、屋外デッキで催されたバーベキューランチ。灼熱の太陽の下、冷えたサッカラビールで喉を潤しながらスパイシーなグリル料理に舌鼓を打ったのだった。
どこまでも続く不毛の砂漠のイメージとは異なり、船上から眺めるナイル川の岸辺には、人々の暮らしが多く見られたのは意外な風景だった。雨どころか雲一ない快晴が続いたクルーズ中は、太陽の存在を身近に感じることができ、毎朝右手から日の出を向かえ、左手に夕陽を見送ったのだった。
アスワンからルクソールまでの200キロを4泊で下るクルーズは、緩やでまったりとした雰囲気の中で進んだものの、ナイル川流域こそ歴史遺産の集積地ということもあり、思いの外アクティブな5日間となった。毎日のタイムスケジュールは充実した内容で、きまって前日のターンダウン時に届けられた。
アスワンでは、イシス神殿と切りかけのオベリスク、そして伝統的な帆船であるファル―カに乗って対岸のヌビア人の集落を訪問した。
途中、コム・オンボではコム・オンボ神殿、エドフではホルス神殿を巡り、エスナロックを通過してルクソールに到着したのは3日目の夕方で、到着早々ルクソール市街中心地にあるルクソール神殿を訪問した。
そしてこの日の夜は、エジプシャンナイトと銘打っての船上ディナーパーティ。ガラベーヤなる民族衣装を身にまとっての華やかな時間が夜遅くまで続いたのだった。
翌朝、船で渡ったナイル川西岸では、王家の谷へと導かれた。新王国時代に岩を掘って造られた岩窟墓群で、24の王墓を含む64基の墓が発見されていて、かのツタンカーメンのミイラが見つかった場所でもある。
ツタンカーメンは、紀元前1341年から1323年に生きていた第18王朝末期の最後のファラオだ。公開されている墓にチケットを使って自由に入ることができるシステムとは言え、やはりツタンカーメンの墓の人気が高かったようだ。今から約100年前の、1922年11月4日、イギリス人考古学者のハワード・カーターによって墓へ通じる入口が発見され、11月26日にカーターのスポンサーだったカーナヴォン卿と共に内部へと入り、黄金のマスクを被ったツタンカーメン王のミイラと5,400点の副葬品が未盗掘のまま約3,400年もの時を経てここで発見されたのだった。
当日の様子を想像しながらの墓穴への潜行は、スリルを感じる貴重な経験となった。鮮やかに残る原色のままの壁画に囲まれた玄室の中央には石棺が置かれ、傍らにはガラスケース内に安置されたツタンカーメンのミイラとも対面することが出来た。考古学史上世紀の発見と言われた当時の様子は、刻銘に記録が残され、ガイドから当時の会話の一部を聞かされた。【カーターは火をともしたろうそくを穴に入れて、中をのぞいた。「何か見えるかね」とカーナヴォン卿に聞かれて、カーターはこう答えた。「はい。素晴らしいものが」と。】
ミステリーとロマンは尽きず。王家の谷では今尚発掘作業が行われ、未だ発見されることなく眠っている墓穴があるのではないかということを容易に想像させてくれる。紛れもなく今回のナイル川クルーズのクライマックスに相応しいアドベンチャラスなひとときだった。
そして、大列柱の美しさと壮大な景観に圧倒されたカルナック神殿の訪問で、サンクチュアリ―サンボートⅣ乗船中のエクスカージョンを終えた。
ルクソールは、ナイル川クルーズでは最も見どころに溢れた目的地で、歴史に興味がある訪問者にとっては数日の滞在では物足りなさを感じるに違いない。そして、サンクチュアリ―サンボートⅣの最大の魅力は、そんな歴史遺産を案内してくれるガイドのクオリティの高さにあるのだった。考古学、 エジプト学の専門的知識を備えた選び抜かれたガイドだけがアサインされるというだけあって、わくわく感を掻き立てる演出と熱心なガイディングによって下船するころにはすっかりエジプトの歴史の奥深さと更なる興味に取り付かれしまっていた。
ルクソールで下船した後、エジプトにおけるもう一つの代表的なヒストリカルホテル、ソフィテル ウインター パレスを目指した。ここもまたナイル川沿いに建つエレガントなホテルで、街の喧騒の中にありながらも、ナイル川や西岸のネクロポリスを一望することができる素晴らしいホテルだ。
オーセンティックなフレンチダイニング1886でアラカルト料理を堪能しつつ、ルクソールでの最後の夜を終えたのだった。翌朝、西岸から熱気球に乗ってルクソールとナイル川の朝焼けの大パノラマを満喫し、上空から遠く大家の谷とハトシェプト女王葬祭殿も眺めることができたのは忘れられない思い出になった。そして、世界で最も長い歴史を持ち、最も謎めいたナイル川流域を巡る旅を終えたのだった。
褐色の世界の後はビーチリゾートも楽しむべく、ルクソールから車で4時間走り紅海沿岸のリゾート地ハルガタへと向かった。人の暮らしを垣間見ることが出来たナイル川流域をひとたび離れると、車はハルガダに向けて不毛の砂漠地帯をただひたすら走った。
ハルガダも気温は40度近くまで上がり、空気はこの上なく乾燥ていて、聞けば数年来雨は降っていないとのこと。青々と輝く紅海の美しい風景を目前に改めて考えた。やはりナイルがなかったらエジプトが存在することはなかったのではないか、と。
RECOMMENDATIONS
エジプト ナイル川紀行【前編】
”Without the Nile, there is no Egypt” 「ナイルがなかったらエジプトが存在することはなかった。」
ナイル川クルーズを含む12日間の旅を通じて、この言葉が意味するところを理解することとなった。
遥かなるエジプト ナイルクルーズの旅 9日間
ゆったりと流れる悠久のナイル川をクルーズでめぐりながら、神秘と謎に満ちた古代エジプト文明に触れる旅へ。アスワンでの滞在はアガサ・クリスティがカクテルを楽しんだ伝説の場所で。4500年の歴史を持つエジプトを訪れる一生に一度の旅のご提案です。