カスバ街道を行く ロマン溢れるサハラ砂漠へ
モロッコと聞いて思い浮かべるものはなんだろう?入り組んだ細い通りが蜘蛛の巣のように広がるメディナ、お祭り騒ぎのような熱狂が渦巻く夜のジャマエルフナ広場…。「青い宝石箱」と称されるシャフシャウエンをイメージする方もいるだろう。モロッコは、アラブ・イスラム文化に加えて北はポルトガル、中部はフランスといった欧州の文化的な影響を色濃く受けており、異文化の十字路として多彩で複雑に織り重なったミックスカルチャーが育まれた土地だ。
今回訪れたのはモロッコの南部、北アフリカの地に約4000年以上も前から住んでいる民族・ベルベル人が暮らす砂漠の土地。マラケシュからメルズーガ大砂丘を目指し、ベルベル人によって脈々と受け継がれてきた“オーセンティック”なモロッコに触れる旅に出かけた。
マラケシュから車を走らせること一時間弱、今回の旅の案内人であるベルベル人ドライバーが「ここから砂漠の入口だ!」と言った。カオス渦巻くマラケシュを後にし、ついに砂漠の民・ベルベル人のテリトリーへ…。モロッコ中央部のアトラス山脈南東部に連なるワルザザートからエルラシディアに到る道は“カスバ街道”と呼ばれ、モロッコ南部を旅する上で欠かすことのできない風光明媚な景観が続いている。
カスバとは「城塞」を意味し、主に17-18世紀頃につくられた太守、首長の砦のこと。その多くは小高い丘陵の上に位置し、雄大なアトラス山脈の岩肌や荒涼とした大地にテラコッタ色の日干しレンガの城塞都市が悠然とそびえ立つ姿はピトレスクな美しさがある。殆どのカスバは廃墟と化しているが、いくつかは改装されてホテルとなっており、そんなカスバ街道を彩るホテルの一軒を訪れた。
私がマラケシュに到着したのは2023年9月9日。
モロッコを地震が襲ったその翌日だった。最高級のカスバホテルとして知られる「Kasbah Tamadot」はその影響で休業を余儀なくされており、殆ど地震の被害がみられなかったマラケシュ市街とは異なって山の方に来るとその爪痕の一端を窺い知る事ができた。
しかし、訪問したTHE KASBAH BAB OURIKAは伝統的で微細な手仕事による調度品・しつらえの部屋や圧巻の眺望を誇るテラス、花々が溢れる牧歌的なガーデンには全く震災の影響は見受けられず、欧米のゲストが山々を眺めつつゆったりと過ごしていた。ミントが爽やかなモロッカンティーを飲みながら悠久の時を経て形づくられた山や渓谷を眺め、まるで時が止まっているような感覚を味わった。
メルズーガまでは長いドライブになるが、その道中は3000m級の山々が連なり、絶壁や渓谷といくつものカスバが織りなすダイナミックな景観が続いていて、けっして飽きることはない。
例えば、ワルザザードの近郊に差し掛かった時に訪れる事ができるのが、世界遺産にも登録されているカスバ、アイトベンハッドゥ。「アラビアのロレンス」や「グラディエーター」といった様々な映画のロケ地としても知られ、このベルベル人が造り上げたクサル(要塞化した集落)の圧倒的とも言える威容を目にした瞬間、思わず「かっこいい!」と声を上げてしまった。
迷宮のように入り組んだ城塞を登って頂上に到着すると、眼下にはまるで異星にいるような茫漠とした景観が広がっていた。
同じくワルザザード近郊のローズバレーはダマスクローズの名産地であり、開花の時期は谷がピンク色に染まり優雅な香りに包まれる。
また、カスバ街道の中継地であり、褐色の大地に緑鮮やかなオアシスが広がるティネリールの近郊に「ロッククライミングの聖地」として知られる断崖絶壁・トドラ渓谷が聳え立っている。左右から迫りくるような絶壁は人間が豆粒に感じられるほど大きく、その驚異的な景観は迫力満点だ。
ワルザザード近郊での滞在先は名門カスバホテル、DAR AHLAM。ここに滞在するために遠路マラケシュから訪れるゲストが引きも切らないこのホテルの魅力は、“No one else is around…and no two days are the same.”と謳うとおり、プライベートな空間と多彩なアクティビティだろう。
200年前に建てられたシャンパン色の土壁のカスバ内には秘密の小部屋のようなロマンティックな空間がいくつもあり、パリのチュイルリー公園のリノベーションなどでも知られる造園家ルイ・ベネシュが手掛けた美しいガーデンには10カ所以上も食事のプライベートセッティングが出来るスペースがある。さらに、アトラス山脈とサハラ砂漠に抱かれたこのホテルでは、数え切れないほどのエクスカーションを楽しむ事ができる。
オールインクルーシブを採用し、食事もステイ中のプランもすべてが完璧にプライベートにデザインされる至極のリゾートホテルと言えよう。
DAR AHLAMがあるスクーラを後にし、マラケシュからは距離にしておよそ560km、ついにメルズーガ大砂丘に到着。目にした景色はまさに“in the middle of nowhere”!
日に5度、その色を変えるという砂漠は夕暮れを前に赤く染まっていた。ラクダの背に揺られながら砂丘の上にたどり着き、真っ赤な太陽が見渡す限りの砂の海に沈んでいく様子は感動の一言だ。そして、夕陽が最後の輝きを放った後に広がるのは、無数のダイヤモンドをぶちまけたような星空。夢に描いたよりも美しい砂漠と空が織りなす情景は、一生忘れる事のない記憶となるだろう。
翌朝、ダカールラリーのコースでも知られるhamada(Black & Flat)を駆け抜け、“砂漠の薔薇”といわれるアンモナイトを探しにメルズーガの礫砂漠へ。
信じられないことに、太古の昔、サハラ砂漠は海の底だった。そのため、アンモナイトをはじめカメの甲羅や魚の骨、サメの歯やサンゴの化石を見つけることができるのだ。さまざまな形状や色をした石が砂漠の上に無数に転がっている一帯に着き、足元にあったゴツゴツした石を拾い上げて観察してみると、なにやら小さくて黒い渦がくっついている。ガイドに尋ねると、まさにこれがアンモナイト!大きなサイズや珍しい形の化石を夢中で探しているうちに、両手には持ちきれない量の化石が…。
ガイド曰く、ローズクオーツのような天然鉱石や、メテオライト(隕石)も見つかるとの事。
遥かな時を超えて砂漠に遺された海の化石と、宇宙からの落とし物…。サハラ砂漠は圧倒的なロマンを感じられる場所だった。
砂漠の民であるベルベル人もその多くが都市へ出ていき、今日までもっとも自由、且つ過酷な生活をしているノマドの住まいを訪問した。車を走らせると、hamadaの大地にいくつもの四角い形状のテントが見えてくる。
テントの前で絨毯を織っている女性に話を伺うと、その色づかいや模様は“日記”の役割をしており、日々感じた物事を生地に織り込んでいるのだという。絨毯などのベルベル人の手仕事や装飾品で “ⵣ”の記号をよく見かけるが、彼らの文字でZを表しており、その意味は「自由」。
テントの下で一緒にお茶を頂きながら話を伺い、厳しい自然の中に身を置きながら何より自由を尊び、誇りとする生き方に感銘を受けた。全く異なる生活、価値観を持つ人々とのコミュニケーションは海外を旅する醍醐味であることを再認識する貴重な時間だった。
メルズーガ大砂丘での滞在は、やはりベルベルテントで!
THE WHITE CAMEL ACACIAはたった、5室しかないエクスクルーシブなロッジ。砂漠の真ん中にあるとは思えない程、室内は快適に整えられている。アメニティにネクタロームのアルガンオイルが置いてあるのも、モロッコならでは。食事はタジン料理など伝統的で本格的なモロッコ料理を堪能できる。なにより、刻々と色を変える砂漠の朝焼けや夜が深まるほど迫力を増す星空を目にする事こそ、ここに滞在する特権。
モロッコを旅していると、現地の方々が“insha Allah!”と言うのをよく耳にする。神のご意思、思し召しという意味で、被災直後のモロッコ南部を旅する中で、悪い事も善い事も運命として受け入れて生きていくモロッコの人々の強さを感じた。
過酷な環境の中で生きる素朴で親切な砂漠の民や、魂を震わせる大自然の絶景に出逢える場所。ぜひ、一生に一度の砂漠の旅へ!