日本のゴルフコース探訪【続編】
川奈ホテルゴルフ
(伝統と格式を誇るゴルフコース一体型の美しき海辺のリゾート)
これまで二回に亘り日本が誇るゴルフコースのご紹介をさせて頂きました。
今回はその続編として、風光明媚な伊豆半島の東海岸に建つ伝統と格式を誇る美しきクラッシックゴルフリゾートをご紹介致します。
「川奈」、この名に特別な想いを感じるゴルフ好きの方も多いのでないでしょうか。
昭和初期に建設されてから85年の歴史を重ね、海と緑に囲まれた優美なリゾートホテルは2016年に国の有形文化財にも登録されました。
そのホテルに併設され自然の地形を活かしたダイナミックで息をのむ美しさのゴルフ場は、全英オープン開催コースの中で屈指の景観を誇るスコットランドのターンベリーや、6回の全米オープンが開催され「神のみが創りえた」と称される米国随一のペブルビーチと並んで世界に名を馳せ、ゴルフ好きなら一度はプレーしてみたい憧れのコースの一つです。
中でも「富士コース」は米国のゴルフマガジン「世界のゴルフ場100選」始め、世界のベストコースランキングに選ばれ続け日本を代表する名コースです。
川奈ホテルを創設したのは帝国ホテルの会長を務め、前回の東京オリンピック時には日本古来の伝統美を備えたホテルオークラを設立するなどホテル業界に大きな足跡を残した、大倉財閥の二代目大倉喜七郎男爵です。
大正末期、川奈の地を静養で訪れた喜七郎は、英国で触れた貴族の豊かな田園生活を日本でも再現したいと言う夢を描き、牧場用地として広大な土地を購入しました。しかし、そこは溶岩台地で牧場には全く向かない土地だったのです。
牧場を諦めた喜七郎はその風光明媚で変化に富んだ土地を活かしゴルフ場を建設する事にしました。ゴルフ界の大御所大谷光明による設計で重機のない時代に人力で溶岩台地の上に大量の客土を行って芝を張りつけ、1928年に18ホールパー68の短い「大島コース」を開場、隣接地に当時人気の高かった赤星六郎の設計で「富士コース」の建設を始めます。
そこで予期せぬ事態が起きました。
ゴルフ場設計の巨匠である英国人C.Hアリソンの来日です。彼は1930年東京ゴルフ倶楽部と広野ゴルフ倶楽部の設計の為に来日したのです。
アリソンは大谷光明から赤星が描いていた富士コースの図面の修正を依頼され、関西へ赴く途中で川奈に立ち寄るやその余りの美しさに魅了されました。
「麗しき絶景に幻惑されて正しき設計を誤る恐れがあり、印象が薄らぐのを待つ」と友人に書き送り到着後3日間は仕事をしなかったとの逸話が残っています。
眼下に広がる相模湾の波頭の彼方に大島、三浦半島や房総半島、そして秀峰富士山を一望する雄大な景観はアリソンの設計思想を実現する場として相応しい舞台だったのです。
アリソンの図面に基づき富士コースは1936年(昭和11年)に完成しました。1番ホール(409ヤード、パー4)はこれから始まるドラマを予感させるよう、海に向けてダイナミックに打ち下ろしていきます。
海沿いの2番ホールの後に急こう配の難しいロングホールが二つ続き、馬の背のような狭いフェアウェーが海に向かって突き出し、アリソンバンカーがグリーンまで幾つも連なる7番も印象深いホールです。
そして川奈の印象がより強く記憶に刻まれるのがバックナインです。左手に富士山、右手に大島を眺めながら岬の先端に立つ白い灯台に向かうロングホール11番(568ヤード、パー5)、海の上に浮かぶ舞台のようなグリーンを攻める14番(366ヤード、パー4)、そして最もスリリングで印象的なシグネチャーホールは15番(470ヤード、パー5)でしょう。
高台にあるティーグランドからまるで大海原に打ち出すように断崖沿いの狭く海に向けて傾くフェアウェーに向けて打ち下ろします。これらは相模湾に突き出た川奈岬の断崖美に心を奪われたアリソンが最も力を入れたホールでしょう。
この15番から始まり、山の上にある小さなグリーンに向けて急傾斜を打ち上げるショートホール16番(172ヤード、パー3)(戦前は更に山が高く、占領軍が接収中に削って低くしたそうです)、30ヤード近くを打ち上げる高低差があり、フェアウェーの真ん中とグリーン手前に身長の2倍にも及ぶ深く巨大なアリソンバンカーが待ち受け最難関ホールと言われる17番までの3ホールは、川奈のアーメンコーナー(神に祈るホール)とも呼ばれ、プロトーナメントでも多くのドラマを生んでいます。
けっして距離は長くありませんが、美しい自然の景観と地形を巧みに活かした手作りのコースは常に大きな高低差ときつい傾斜やうねりがあります。
また、小さな砲台グリーンに深くて顎が高くせり出したアリソンバンカーを巧みに配置して難易度を高める設計テクニックと、海風の影響で芝目がきつくなった高麗芝のグリーンとがコースの難易度を高めているのです。
因みにアリソンは米国でゴルフ場建設の黄金時代だった1930年頃に多くのコースを造りましたがその原型を留めるものは少なく、今やアリソンの代表作は世界的にも日本の川奈と広野の二つと言われています。この二つは常に世界のベストコースの上位に名を連ね、世界中のゴルファー憧れのコースとなっています。
一方、「大島コース」は1928年に東海地方最古のゴルフ場としてオープン、川奈の歴史はここから始まりました。
設計した大谷光明は英国留学時代にゴルフを始め、帰国後には日本ゴルフ協会の設立などゴルフの普及に尽力し、日本のゴルフの祖とも呼ばれています。
開場から90年以上が経ちクラシックで手作り感満載の大島コースですが、海風を感じる格調高いシーサイドリゾートの気分を味わえます。
パー70と距離は短いですがフェアウェーは狭く、きついアップダウンや崖越えのホールもあり、けして簡単ではありません。
富士コースはキャディ付歩行プレーで体力や腕に自信のない人には辛いですが、大島コースは乗り入れ可のナビ付電動カートでのセルフプレーで、18ホールスルーの新しいラウンドスタイルで廻れます。
富士コースが宿泊者専用であるのに対し、大島コースは日帰りプレーも可能なので気楽に川奈を楽しむ事ができます。
大倉喜七朗は留学中に訪れたスコットランドのリゾートホテル・グレンイーグルスホテルに感銘を受け、帰国後、川奈に英国風本格的リゾートホテルを建設しました。
オープンしたのはゴルフ場富士コースと同じ1936年。
外観は望楼を備えたスパニッシュスタイル、れんが色の屋根に白壁の南欧リゾートの雰囲気ですが、建物の中に入ると趣が異なり英国風の貴族の館で用いられるチューダー様式で、喜七郎の美学が色濃く残されたクラッシックホテルです。
エントランスを抜けると創業以来変わらぬレトロな佇まいのロビー、高い天井は二階の回廊と繋がり、大理石の大きな暖炉の上には川奈のシンボルである鷲のエンブレムが施され、シックな革張りのソファとマッチして重厚感と気品が漂い特別な落ち着きを感じます。
ロビーの隣には川奈のランドマークとも言うべきサンパーラーがあります。柔らかな日差しが降り注ぐ三面ガラス張りからは相模湾が一望できます。ここでリゾート気分を満喫しながら味わうことのできるフルーツケーキは絶品で、お土産としても人気です。
その奥はヨーロッパの教会をイメージした木組みの天井をもつ重厚なメインダイニングで、ホテル伝統の本格的フランス料理が味わえます。
庭には1936年に御殿場から築300年を経た茅葺の古民家を移築し有形文化財の登録をされた和食処「田舎家」があり、てんぷらやすき焼きなどを楽しめます。
歴史あるホテルである川奈には賓客も多く訪れており、天皇皇后両陛下やスウェーデンのグスタフ国王夫妻が訪問されたほか、マリリン・モンローが気にいって二回も食べたというオムライスは今でも名物料理となっており、野菜の旨味が凝縮した濃厚なデミグラソースは洋食好きにはたまらない一品です。
2014年開設の宿泊者専用の温泉施設「ブリサ・マリナ」(スペイン語で「海風」)には海に面した大浴場やプラベートバスルーム、リラクゼーションルームなどもあり、露天風呂で海風を感じながら水平線から昇る朝日を眺める事ができます。2020年春には3年に亘る全100客室の改装工事が完了し、歴史ある瀟洒な建物の魅力はそのままに3世代ファミリーの家族旅行に対応する部屋が造られるなど、新たなニーズにも対応してノンゴルファーの居心地の良さも増しています。
眺望の美しさと共に温暖な気候に恵まれた川奈では敷地内に30種9000本の桜を始め四季折々に咲く草花を楽しむ事ができ多くの文化人にも愛されましたが、中でもホテル完成翌年(1937年)ここを訪れた歌人与謝野晶子は眺望の美しさに魅せられ「海に添う、東日本をことごとく、望み見るべきサンルウムかな」と歌を残しています。
名だたる著名人に続き歴史ある川奈を訪れ、名門コースでゴルフを楽しんだ後に温泉露天風呂でリラックスし、新鮮素材を使ったフランス料理や和食を味わって非日常を楽しまれては如何でしょうか。
川奈は周囲から隔絶された静謐な美しさと特別感を保っており、一度訪れた人がまた直ぐに再訪したくなる魅惑のリゾートなのです。
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