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ケリー・ヒル建築に浸る
2023.11.27
HOTELS

ケリー・ヒル建築に浸る

WRITTEN BY HIROSHI.K

90年代半ば、バリ島ヌサドゥアの丘に建つアマヌサを訪れた時、あまりの美しさに豪く感動したことを覚えている。まだろくに世界のホテルを知らない頃とは言え、初めてのアマンリゾートとの出会いは、鮮烈で衝撃的なものだった。
2018年のクローズを迎えるまで幾度となくアマヌサに滞在したが、あの時の感動は最後まで色褪せることはなかった。

光り輝く大理石のレセプションエリアは何本かの柱で茅葺屋根を支えた吹きさらしの空間で、まるで城壁のように囲まれた石垣の眼下には、真っ青でとてつもなく大きなプールとそれを取り囲む熱帯の植物に彩られた優美な景観が広がっていた。
遠くにヌサドゥアの穏やかな海と水平線をのぞみ、シンメトリーに設計された2つのガゼボは左手にあるものはバーで、右手はレストランになっていた。いずれの建物もやはり茅葺屋根のオープンスペースのため、遠目に中の様子が伺えた。
静寂の中聞こえてくるのは、プールサイドに設えられた壺からプールへと流れ落ちる水音と鳥のさえずりくらい。何とも言えない心地良さに包まれた記憶は今も鮮明に残っている。
ゲストが泊まる独立した全35室のヴィラは、高低差のある3.3ヘクタールの土地に点在しており、それぞれが階段とスロープ、コリドーによって結ばれていた。

ヴィラの広さとデザインは全て同じで、プライベートプールの有無と景観によってのみ料金が異なった。
すべてがそれまで持っていたホテルの概念を大きく越えるものだった。新しくも見え、随分前からこの場所に建っていたかのように見えるのも建築設計の妙であろう。
そんなアマヌサが、ケリー・ヒルという建築家によって造られたものだと知ったのは随分後になってからのことだった。

パース生まれでシンガポールを拠点として活躍したケリー・ヒルは、1970年代初頭、ハイアット系列の仕事でバリ島に初めて訪れた際にバリの魅力とりつかれ、夢中になっていったという。そして、サヌールでヴィラの設計のために訪れていたスリランカを代表する建築家ジェフリー・バワと出会うことになり、また、後にアマンリゾートの創業者となるエイドリアン・ゼッカとも出会いを果たすことになる。

1988年にオープンした最初のアマンリゾートであるアマンプリは、シアトル生まれの建築家エドワード・タトル(後にケリー・ヒルと共にアマン建築の2大巨匠と呼ばれることになる)の設計によるもので、続いてバリ島のウブドに誕生したアマンダリは、オーストラリア人建築家のピーター・ミューラーによるもの。そしてその次に誕生したアマヌサこそ、ケリー・ヒルが手掛けた最初のアマンとなった。
その後にアマンが世界中に熱烈なファンを擁するラグジュアリーホテルの一大ブランドとなることを当時の誰が想像できただろうか。きっとこの頃のエイドリアン・ゼッカは、どの建築家が最も自分が掲げる理念と構想の実現に相応しいかを見定めていたに違いない。

ケリー・ヒルのアマンデビュー作であるアマヌサは、アマンリゾーツが世界にその名を轟かせるに至った傑出した建築作品であり、未だ彼自身の代表作であると思っている。

バンコクのスコータイ、チェディウブド、アマンプロ、アマンウェラとアマンガラ、アマンサラ、アマンニューデリー…
ケリー・ヒルが手掛けたリゾートを泊まり歩くうちに、特徴や設計哲学といったものが少しずつ感じ取れるようになっていった。ディテールにこだわりつつ、無駄な装飾性を省いたシンプルなモダンデザインが基本ながら、地域の伝統文化を意識した地元素材の活用や周辺の自然環境を生かした風土に溶け込むような設計。そして高低差を巧みに活用した空間演出と直線美、対称性が生み出す美しさこそケリー・ヒル建築の真骨頂だ。どこを切り取っても絵になる視覚的に完成された建築ばかりで、かつリゾートそのものを表現する象徴的シーンを各ホテルに設定するのも怠らなかった。

にわかに信じがたいかもしれないが、初期の頃のアマンでは宿泊客とてリゾート内で写真を撮る事は許されなかった。SNSはおろかインターネットすらない時代、雑誌に掲載されたホテルの1シーンがいかにミステリアスに映り、そのインパクトがどれほど絶大だったか。今となっては懐かしい思いだ。

20233月、マレーシアに新しくオープンしたワン アンド オンリーが、ケリー・ヒルによるものだということを知って出向いた。シンガポールから車で約2時間半でたどり着いたのはマレー半島の先端にあるデサルコーストと呼ばれる一大リゾートエリア。
熱帯雨林のジャングルに囲まれたビーチリゾートは、恐らくランカウイ島のダタイにも似た雰囲気だろう。メインプールの半分はジャングルの木々に覆われ、緑のトンネルの奥に波立つ海が見えるのが心憎いデザインで、何とも印象に残るシーンだった。

海岸線に並行して平屋のヴィラが立ち並び、海側がオーシャン スイート、そして背後に並ぶヴィラは緑深いエリアにあることからレインフォレスト スイートと名付けられていた。熱帯雨林の自然を残しつつ、傾斜を利用した直線美に満ちたランドスケープや階段を単なるアクセス手段として配置するだけではなく、高低差を使っていくつもの異なる空間を生み出しているところなど、いかにもケリー・ヒルらしいと感じた。

ケリー・ヒル建築を巡る旅は、台湾のラルーとランカウイ島のダタイへと続いた。長い間この2軒の存在を知ってはいたものの実際に訪れるには縁遠く、その機会がようやく巡って来たとの思いで感慨もひとしおだった。

先ず向かった先は、台中から車で1時間の場所にある景勝地、日月潭の畔に建つラルー。1901年に日本人によって建てられたゲストハウス涵碧樓がベースで、アマヌサとダタイに泊まってインスピレーションを得た涵碧樓のオーナー、チェン・ライがケリー・ヒルにその建築を依頼して誕生したホテルだ。日月潭の美しさと背後に控える秀麗な山々をこの世の仙境と絶賛したケリー・ヒルは、自然風景と一体化させた斬新でクラシカルなデザインを目指し、垂直方向は山、水平方向は湖というコンセプトを基に7階建ての客室棟と、4階建ての別荘エリアを計画した。

湖水の色と同色になるようにデザインされた、まるで湖に流れ込むかのような50メートルのインフィニティプールは、日月潭との調和を見事に表現したラルーの象徴で、自然と混然一体となった景観は美しいとしか言いようがない。

ゴールデンチークと呼ばれる高級銘木をふんだんに使った建築は、コンテンポラリーながらも温かみがあり、とりわけ日本人にとってはどこか懐かしささえ感じるのではなかろうか。全室レイクビューで、どの場所からもまるで水墨画のような風景をのぞむことが出来る。
ラルーもまた自然環境との融合を見事に実現させたケリー・ヒルの傑作と言えるレイクリゾートだった。

そして、旅は遂に憧れのダタイへ。1993年に誕生したダタイこそが、ケリー・ヒルがその名を世界に知らしめた建築作品で、誕生して30年になろうとする20237月にようやく滞在が実現した。
出迎えてくれたのはエントランスに鎮座する2頭の木製の白馬像で、奥の人口蓮池、そして更に歩を進めるといつか雑誌で見たジャングルに囲まれた四角いプールのが現れた。
遠く熱帯雨林の木々の間からは、アンダマン海とホテル名の由来にもなっているダタイ島が見える。メインのホテル棟は、ジャングルの中に忽然と現れた遺跡のような佇まいで、ここからリゾートの全容を伺い知ることはできない。ダタイ湾を独り占めにできる手つかずのビーチを持ちながら、ビーチ沿いに建つのはビーチクラブと7棟のビーチヴィラヴィラのみ。

伐採を避けつつ古来の生態系を残すよう、あえてビーチから300メートル内陸、海抜40メートルの熱帯原生林の中にホテルを置くというアイデアが、唯一無二の個性をもたらした。
700ヘクタールの敷地は沼のような湿地と圧倒的な緑の丘陵地からなり、ビーチからは沼地の上に敷かれたボードウォークと、滝のモニュメントのような幾層もの階段を登り、石造りのホテル棟にたどり着く。それはまるで密林の中で失われた文明を探すようで、心が高揚する体験である。これらがケリー・ヒルが設計を始めた1989年当時の発想力と英断から生まれたということを考えると一層偉大に思えてくるのだった。

ケリー・ヒルが残した建築全集によれば、初期設計から完成まで早いもので数年、長いもので数十年の歳月を要していることが分かる。また、脚光を浴びたホテル建築の影で、どれだけ多くのプロジェクトが実現に至らなかったかということも然りだ。

今後オープンを迎えるであろうアマンの、Aman Hegra Al’ula (サウジアラビア)、Aman Niseko (ニセコ)、Amanbadu (ヨルダン)もケリー・ヒルによる建築設計とのことで、建築家がその生涯を終えても尚プロジェクトを推し進めているケリー・ヒル・アーキテクトのチームメンバーに敬意を表したい。

建築に目を向けてホテルを巡るのは何とも楽しく、これまでにケリー・ヒルがこの世に残してくれた作品でどれほどわくわくさせてもらったことか。そして、これからも新たな出会いと発見があるに違いない。

ケリー・ヒル建築に浸る旅は2024年初頭、アマンコラへと続く。

過去に泊まったケリー・ヒル建築のホテル ※( )内はプロジェクト期間

The Beaufort Sentosa(1987-1991 )The Sukhothai(1987-1991)Amanusa(1989-1992)The Datai(1989-1994)The Serai  Mangis(1992-1994)Amanpulo Villa (1994-1998)Chedi Ubud(1994-1996)Aman Kyoto(1995-2019)

The Lalu(1998-2002)Amanwella(2000-2002)Amangalla(2001-2004)Amansara(2002-2004)The Aman,New Delhi(2003-2009)※現ホテルロディ、Aman Tokyo(2006-2014)Amanusa Villas(2008-2012)COMO The Treasury(2008-2016)

One & Only Desaru Coast(2011-2020) Amanyangyun(2011-2018)Amanemu(2012-2016)

※参考文献 / Kerry Hill Architects Works and Projects  発行:株式会社グラフィック社