伝説のホテル ザ・リージェントにて
世界広しと言えども、レジェンドと呼ばれるホテルはそう多くはない。
時は1970年代、すでにラグジュアリーホテルとしてブランド力を高めていたリージェントホテルズの中で、のちに香港に誕生したリージェントだけが、“ザ・リージェント“と呼ばれるようになっていった。
リブランドによって名前が消えた“ザ・リージェント“が復活すると聞いた時から、来ようと心に決めていた。念願が叶い機会に恵まれ、2024年が明けて早々、その昔にリージェント香港を訪れた時と同じキャセイパシフィックの翼で香港にやって来た。
リージェントのロゴが入ったメルセデスで迎えられ、およそ30分でチムサーツィまで運んでくれた。
緩いスロープを上がり、噴水のあるロータリーで車を降りる。ドアマンに導かれてエントランスに進むと、ガラス越しに世界に冠たる香港島の摩天楼が成す大パノラマが出迎えてくれた。全てがあの時と同じで、当時の感動が蘇るようなリージェント香港のチェックインだ。
滞在したのは9階のクラッシック ハーバービュー ルーム。当時の記憶を辿るように、そのまま館内探索を楽しんだのだった。
リージェント香港に初めて泊まったのは1995年の事だったと記憶している。最初のオープンが1980年ということなので、開業してから15年ほど経った頃になる。若かりし頃に雑誌で見た、全面ガラス張りのロビーラウンジ越しに揺らぐヴィクトリアハーバーの水面と背後に聳える香港島のビル群の景色があまりに刺激的で、そんな憧れのホテルに少し背伸びをして泊まったのだった。
その後、数回滞在したものの、2001年にインターコンチネンタルホテル香港に名前が変わってからは、すっかり足が遠ざかっていた。インターコンチネンタルホテル香港が2018年に改装の為にクローズし、再びリージェントブランドにリニューアルされるという発表があったのは2020年のことで、それはとびきりセンセーショナルなニュースだった。そして3年間の大改装を経て、2023年11月にリージェント香港として再出発を向かえたのだった。
九龍半島の最尖端という絶好のロケーションを誇り、階層を示す窓ガラスの直線を帯びたグレーの外観は印象的で、竣工から40年経った今も古さを感じることはない。夜景が映えるようにあえて照度を落とした巨大なロビーエリアの空間と、中二階のクラブラウンジ、そして、ヴィクトリアハーバーと対岸のコーズウェイベイを臨むインフィニティのジャグジーなどといった施設も当時から何ら変わっていない。
アウトラインこそ古き良き時代のリージェントを踏襲しながらも、インテリアは大幅に刷新されたようだ。コンテンポラリーがもたらしてくれる斬新さと、どこか日本っぽさを感じる静けさとの調和が心地良い。
デザインは、香港出身の建築家、チー・ウィン・ロー氏が手掛けたとのことで、五右衛門風呂を想起させるユニークな形のバスタブは特許出願中とのこと。そのバスタブに浸りながら、高層ビルに灯りだす明かりと向き合い、ベッドルームでは体を横にしたままの視線から香港島の夜景に抱かれて眠りにつく。リージェント香港に戻って来られたという喜びを実感するひと時だ。
ホテルが所有するラグジュアリーカーによる空港送迎と到着時のウエルカムティー、独立したシャワーブースとバスタブにあっという間にお湯が溜まる高水圧の給湯システム、濡れた体を瞬時に乾かしてくれるひと際大きくて吸水性に優れたバスタオル。今でこそ珍しくないこれらのスタンダードなサービスは、全てリージェント香港から始まったという話を聞いたことがある。
そして、開業に深く携わった一人にアマン創業者のエイドリアン・ゼッカ氏が居て、1987年にリージェント香港を去ってすぐにアマンリゾーツを設立したのはエポックメイキングとも言える出来事だ。アマンマジックと称される数々のサービスの原点は、リージェント香港にあったのかもしれないと思うと、不思議な感覚と共に一層愛着が湧いてくる。
若かりし日の自分は、あの時何を思ってこの景色を眺めていたのだろうか?思い出のホテルに泊まって記憶を辿ることは、人生を二度楽しませてくれると感じるようになってきた。
そう考えれば、今後の人生において一度訪れた地を再訪するのも悪くないと思えてくる。新たな悦びと二度目の楽しみを求めての旅は、もうしばらく続きそうだ。そして、伝説との再会をはたすために、ここに戻って来る日もあるだろう。